世界と戦う音楽教室 入門
世界の主要な株式市場は、程度の差こそあれ手痛い打撃を受けたのです。
興味のある方は、『金融イソップ物語』や『グローバルーマネー』を読んでください。
この2冊の内容を参考に、IOSショックのことをまとめてみましょう。
1952年、Nは25歳のときに、「P」と「T」というキャッチフレーズを掲げて、新しい金融会社の設立を考えたのですが、アメリカには厳しいことで知られるSEC規則がありました。
結局、アメリカでの会社設立を諦めたかれは、55年、金融国スイスのジュネーブにおいて自分の会社を設立します。
本拠地は、レマン湖のほとりの一等地でした。
Nが最初に手掛けたのは投信販売会社です。
欧州、中でもパリに派遣されているアメリカのビジネスマンや軍人を相手に投資信託を売ることを思い付いたのです。
アメリカの有名投信であるDは人気が高く、販売高は予想をはるかに超えるペースで伸びました。
NがDの販売権を手に入れたのは56年のことですが、62年の頃には同ファンドの新規資金導入の大半がIOSを通じたものになったといいます。
ビジネスを継続していく中で、Nは、他人のファンドばかりを販売しても旨味が少ないことに気がつきました。
そこで、投資信託運用会社を買収し、運用業務へと進出します。
自ら仕入れた大量の資金を自ら運用するようになるわけです。
そして、60年代後半には、グローバル金融コングロマリットを形成するまでに成長します。
16の投資信託、その持ち株会社であるIOSマネジメント、世界28カ国に点在する投資信託販売会社、5つの保険会社、10の銀行、3つの不動産会社、それに4つの投資情報出版会社など、まさに一大金融帝国が出現しました。
IOSの販売能力は、ピーク時で110カ国、1700支店・出張所に拡大。
1万6000人のセールスマンをかかえるまでになりました。
東京にも、アメリカ駐留軍を相手にするオフィスがあったといいます。
その隆盛ぶりが窺い知れるでしょう。
Nは、こう主張して人たちの心を打ちました。
「無産階級の人たちを平和裡に真の有閑階級に変えてしまう。
これがわたしたちの仕事だが、これこそまさに革命的でエキサイディングな試みである」と。
しかし、内部管理がずさんでした。
特にNが力を入れたのは、契約した顧客が数年間毎月、定期的に払い込む自動継続型投信でしたが、その販売手数料は最初の払込額だけに対してだけでなく、全契約中の払込金総額に対して計算されたので、はじめの6ヵ月間の払込金にほぼ匹敵する金額の手数料がセールスマンに丸々入り込む仕掛けになっていました。
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